「 ありがとう 」のベクトル

湯浅

「 ありがとう 」のベクトル

2022/3/12

不特定多数の「 スキ 」や「 イイネ 」もいいけど、やっぱり、知ってる関係からの直接の評価や、次を期待されるっていうのは、モチベーションが、違う。顔の見えない誰かの「 ありがとう 」と顔を知っている友人からの「 ありがとう 」は、全然、感覚が違う。そう、それは「 百聞は一見にしかず 」という感覚に近い。

それは、どんな感覚か?

役に立っている感があるのだ。

私たちは、社会性の生き物だから「 誰かの役に立ちたい 」という本能がDNAに刻まれている。

私たちが労働するのは、対価のためだけではなく、どこかで誰かの「 ありがとう 」が得られるし、どこからで誰かの「 ありがとう 」を求めているからだ。

一生働かなくてもいいくらいのお金持ちが、働き続けるのは「 ありがとう 」でしかない。

「 ありがとう 」以外に、ボランティアの存在の説明はつかない。

私たちは毎日に忙殺されて、考える余裕もなくて、記憶の彼方に忘れてしまっているのだけど、私たちはお金のためだけでなくて、どこかの誰かの役に立つ「 ありがとう 」を探している。

私は文章を書いている、無償で書いている、書きたいから、書いてる。
・私は、書いてくれて「 ありがとう 」を求めていない。
・私は、読んでくれて「 ありがとう 」を伝えたいのだ。

商品を買って「 ありがとう 」と言われるのではなく「 ありがとう 」を言うスタンスである。

私は夜中にコンビニで働きたくない。でも、働いてくれてる人がいるから、商品を買える。しかも、美味しい商品が、あんなにも低価格で手に入るのだ。「 ありがとう 」でしかない。そんな国は、日本以外にない。” 24時間開いてる店はまだある ” としても、そんな店が ” 至る所 ” にある国は日本だけだ。日本は最高に便利で世界一住みやすい国なのだ。

コンビニと店員さんに「 ありがとう 」しかない。

私たちは、日常の「 ありがとう 」を言われることに慣れてしまっていて、おかしくなっているが、よく考えたら、こちらこそ「 ありがとう 」なのだ。

コンビニだけじゃない、500円以下であんなに美味しい牛丼とかマジ神業でしかない。

電車じゃなくて、歩いてみ?
電車は時間に対してのコスパ良すぎだから。

スマホとか、もはや、ないと生きていけない、スマホがないときは、どうやって生きていたんだろう?レベルである。

「ありがとう」なのだ。
いつでも行けるコンビニに
安くて早くて美味い牛丼に
定時刻にきちんと走る電車に
スマホやインターネットやアプリに

私たちの生活は、誰かのおかげで成り立っている。私たちは、今ある日常に感謝しなければならない。

友達との旅行を撮って編集してYouTubeに投稿したら、感謝されて、働くってこんな感じだったような気がしたなぁと。

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