【本要約】Think clearly

【本要約】Think clearly

2022/5/9

思考の飽和点

考えるより行動しよう
「 何を書くか 」というアイデアは「 考えているとき 」にではなく「 書いている最中 」に浮かぶ。

時間と共に新たに得られる認識はどんどん小さくなり、スグに思考は「 飽和点 」に達してしまう。

世界を理解するステップには、見通しがきかない世界と実際に関わる作業がつきものだ。直接、世界に身をさらすことが必要なのだ。言うは易し行なうは難し。考えるだけで先に進めない。思考の飽和点をとっくに過ぎていても、つい考えてしまう。

考える方が簡単だからだ。考えるだけの方がラク、行動する方が難しい。
  • 率先して行動を起こすより、考えているだけのほうが、気楽だ。
  • 実行に移すよりぼんやりと思いをめぐらせているほうが、心地がいいのだ。

考えているだけなら失敗するリスクはゼロだが、行動すれば失敗のリスクは確実にゼロより高くなる。考えているだけの人は現実と関わらない。そのため、挫折する心配は一切ない。一方、行動する人は挫折のリスクと無縁ではないが、その代わり経験を積むことができる。

望んでいたものを手に入れられなかった場合に、手に入れられるのは経験である。
何を描きたいかは、描きはじめないとわからない
ピカソ
人生において自分が何を求めているかを知るには、何かを始めてみるのが1番だ。

自己内観における錯覚
自分の思考を省みるだけで、「 自分が何に向いているのか 」や「 何に最も幸せを感じるのか 」また、「 自分の人生の目標や人生の意義までも徹底的に究明できる 」という『 思い込み 』を表す心理学の言葉である。

だが、自分の思考を探ってみても最後に辿り着くのはおそらく、気分の波と、とりとめのない感情と、曖昧な思考だらけの混沌とした泥沼だけだ。

だから、次に重要な決断を迫られたときには、そのことについて入念に検討はしてみても、考えるのは「 思考の飽和点 」までにしておく。

感情

感情の曖昧さ

自分の感情に従うのはやめよう。

自分が、今、見ているものと、感じていることは違う。

色の言葉よりも、感情の言葉の方が多い。

自分で分析してみせる自分の感情は、不正確で信頼性に欠け、当てにならない。偶然、分析を間違うこともあるのではなく、必ず大きく間違っている。自分の心の中がハッキリつかめないのは私だけではないだろう。すべての人間に共通することなのだろう。
スタンフォード大学教授のエリック・シュウィッツゲベル

自分の「 感情 」を分析してみても、よい人生にはつながらない。

多くの詩人が人間の心の中を「 森 」に例える。だが、実際に自分の感情に従って深い森の中に入り込めば道に迷うのは確実で、最後に辿り着くのは、気分と感情と思考の断片が集まって混沌としている泥沼の中でしかない。

「 感情 」の代わりに、私が分析しなければならないのは、自分の「 過去 」だ。

自分の人生にくり返し起こる出来事はなんだろう?

出来事が起きた経緯を後づけで解釈するのではなく、起きた出来事そのものに注目して分析すれば、自分を知る手がかりになるはずだ。

それにしても、どうして自分の「 感情 」を分析するのは、これほどやっかいなのだろうか?

  1. どれだけ自分の心の声に聞き耳を立ててみても、どんなに深く自分の内側を分析しても、その結果を遺伝子にコピーして次の世代に伝えることはできない。
    進化の観点からいえば、自分の感情を把握するより、他人の感情を読むほうがはるかに重要だ。
    人間は「 自分の感情より他人の感情を読むほうが得意だ 」ということは、すでに事実として立証されている。
  2. 自分以外に自分自身の心の決定権を持つ人がいない。
    心の中で「 自分がどんな感情を持っている 」と判断しようが、異を唱える人は誰もいない。
    自分が「 唯一の権力者でいる 」のは居心地がいいが、修正機能が働かないために的確な自己分析ができない。
自分の「 感情 」とは当てにならないものなのだ。
そう考えると、自分の感情を深刻に捉えすぎないほうがいい。
特にネガティブな感情は重く受けとめなくていいのだ。

人間は自分の感情にもっと疑いを持ち、感情から距離を置き、遊び心のある新しい関係を自分の心と築くべきではないか。

自分の感情を「 どこからともなく私のところにやって来ては、またどこかへ消えていく、まるで自分とは関係ない何か 」のように扱う。

屋内市場

自分のことを「 感情というありとあらゆる種類の鳥たちが飛んで来ては去っていく、開けていて風通しのいい屋内市場 」のように捉える。

鳥たちは室内の広場を飛び回っているだけのこともあれば、しばらく、そこに留まっていくこともある。何かを落としていくときもある。でも、結局は、どの鳥もいなくなる。お気に入りの鳥もいればあまり気に入らない鳥もいる。

この市場のイメージを頭の中で作り上げることで「 自分の感情 」が、自分の一部とは感じられなくなる。まるで、自分に属していないかのように感じる。

やってくることを歓迎できない鳥もいるが、さほど気にならない。実際に屋内市場に飛んできた鳥に対するように、無視するか、遠くから眺めているだけだ。

感情を鳥のイメージに置き換えるこの方法には、もうひとつ利点がある。感情を鳥の種類になぞらえて分類すれば、さらに遊び心を持って感情と付き合うことができるのだ。

「 やっかみ 」
イメージの中ではチュンチュンと鳴く小さなスズメだ。
「 いらだち 」
木をつつくキッツキ
「 怒り 」
猛スピードで飛ぶハヤブサ
「 不安 」
羽をばたつかせるツグミである。

これが「 感情との新しい関係 」である。

  1. 「 ネガティブな感情 」は自分の意志では取り除けない。
  2. 「 ネガティブな感情 」を意志の力で取り除こうとしても、かえってその感情はエスカレートしてしまう。

遊び心を持って、ネガティブな感情との「 リラックスした付き合い方 」を見つける。ただし、中にはとても毒性が強く、遊び心を持った付き合い方だけでは処理できない感情もある。

・自己憐憫
・苦悩
・嫉妬

私たちは「 ビッグマックを食べてどんな気持ちになるか 」より「 ビッグマックの中に何が挟まっているか 」のほうが正確に描写できる。自分の感情は信用しないほうがいい。

「 周りの人の感情 」は常に真剣に受けとめるべきだが「 自分の感情 」とは真面目に向き合う必要はない。自分の感情は、あたりを羽ばたかせておけばいい。どっちみち、感情というものは、自由気ままに行ったり来たりをくり返すものなのだから。

思い出づくりよりも、今を大切にしよう。

「 体験している私 」と「 思い出している私 」とでは、どちらのほうが大事なのだろう?

答えはもちろん、両方だ。

私たちは「 よい思い出をつくりたい 」と思うあまり「 思い出している私 」のほうを重視してしまう。「 現在 」に目を向けるより、ついつい、将来の思い出づくりを意識した行動をしてしまう。だが、意識の向け方は、逆のほうが望ましい。

本当に充実した人生を送りたいか、それともアルバムだけを充実させたいか。そのどちらがいいかを考えてみればわかるだろう。

現在を体験している自分に集中することで、自然と、未来のアルバムが充実してくる。

「 現在 」を楽しもう。

「 記憶の口座 」に残る期間が、長ければ長いほど、その経験の価値は上がっていく。最も価値のある経験は「 人生の最後まで記憶に残りつづけたポジティブな経験 」となる。残りの人生の半分まで記憶が残れば価値はその半分である。

記憶の口座に残る期間が短くなれば価値も下がり、「 全く記憶に残らなければ価値がなくなる 」と感じられる。

そんなはずはない。

何も経験しないより、すばらしい何かを経験できたほうがいいに決まっている。どのくらい記憶に留まるかに関わらず、それを経験している間は、すばらしい時間を過ごせたのだから。

その上、私が、死んでしまえば、記憶を持ち続けることはできない。
死んだ後には「 私 」は、もう存在しないからだ。

死は自分の記憶を消し去ってしまう。それなのに、死の瞬間まで記憶を保ちつづけるのが、そんなに大事なのだろうか?

私たちが知る限り、動物の多くは記憶を持っていない。その瞬間を生きるだけで、経験したことの記憶は全く残らないか、残ったとしてもごくわずかだ。

「 過去のすばらしい経験を思い返しているときに、人間が幸せを感じる 」ことは、既に研究で明らかにされている。そのときを懐かしむ気持ちがあれば、感じる幸せはさらに大きくなる。

一方で、靄のかかった古い記憶よりも、今この瞬間に経験することのほうが力強く、鮮明で、生き生きと感じられる。

何かの思い出を掘り起こそうとするより、そうした時間を意識して体で感じるようにすればいい。いずれにせよ、過去を振り返ったところで、たいした記憶が掘り起こせるわけではない。

私たちは、前に観た映画をもう一度観るような感覚で過去を思い出せると考えがちだが、記憶はもっと直線的で、味気なく、抽象的だ。そのうえ記憶違いも多く、一部は後から継ぎ足された創作であると思えば、結局、記憶なんて、それほど意味のあるものではない。

私たちは「 記憶の価値 」を過大評価し「 今の経験の価値 」を過小評価している。

記憶は、改ざんされた虚構のストーリーである、記憶は曖昧な幻想に過ぎない。

私たちの脳は、私たちが意識しないままに「 過去・現在・未来 」と、時間の3つのレベルすべてに関わっている。難しいのは、どのレベルに焦点を定めるかだ。

  1. 長期的な計画を立てる。
  2. 計画ができたら、そのうちの「 今 」だけに完全に意識を集中させよう。
  3. 「 未来の思い出 」より「 今、現在の経験 」を存分に楽しもう。
夕日を写真に撮るより、夕日そのものを楽しんだほうがいい。

すばらしい瞬間を積み重ねてできた人生は、例え、それらの記憶が残らなくても、すばらしい人生に違いない。

経験を「 記憶の口座 」への入金作業にするのはやめよう。
人生最後の日にはその口座はどのみち消えてしまうのだから。

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