集中するための方法を思考する
2021/4/16
毎日、何かの情報に触れ、思考を変容させながら、生きている。
本当は、起きている間は、ずっと、プログラミングのことを、YouTubeのことを考えなければならないのに、考えていたいのに、余計な何かに振り回されてしまう。
家に引きこもって、テレビもスマホもオフにして、完璧に社会と遮断したら、それは可能かもしれない。しかし、何かしら調べたいことがあると、スマホが必要になる。その瞬間に、余計な情報に触れてしまう。気が付けば、アプリの通知ボタンに触れてしまい、思考は、違う方向へ流れる。
家より、カフェの方が集中できるからと、カフェに行く。カフェは、社会だから、余計な何かが必ず存在する。時に、思考のきっかけを与えられる。そうすると、気が付けば、その思考を可視化している。
文章を書くことを習慣化し過ぎた故に起こる現象である。
そして、情報と思考で、自分が少しだけ変容している。そのわずかな違いに自分で気付くことは、難しい。他人が気付くのも難しいが。
しかし、そこで、起こった僅かな変化は、未来を変化させる。角度が、360度のうちの1度だけズレただけで、その辿り着く先が変わってしまうように。
情報の取捨選択がいかに大事かが認識できる。
そして、僕らは、情報に振り回されながら生きている。毎日、スマホから、大量の情報を浴びて生きいてる。そして、情報を浴びた瞬間に、忘れていく。そうして、時間を喪失している。
何かに、集中することに必要なことは、不要なモノや不要なコトを捨てることだ。毎日の習慣を変えるためには、捨てたり、消したりしなければならない。テレビを捨て、ニュースアプリを消し、Twitterを消す、いや、消せない。ログアウトに留める。
入力する情報を、極端に絞る。それ以外の情報に触れる機会を減らす。徹底する。それが集中する術である。
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