意識についての思考
2022/3/12
【 準備体操 】
地平線に広がる空と海を見る。
私たちは「 空と海がある 」とわかる。
「 空と海 」という概念や言葉を知らない小さな子どもは、目に移る光景を眺めているだけだ。
「 空と海がきれいだね 」と言う。
「 空って?海って?」と聞いてくる。
「 あの真ん中の線より上を空と言って、あの真ん中の線より下を海と言うだよ 」と教えられて「 空と海 」の概念を習う。
そこで初めて、目の前に映る景色は「 ひとつじゃなくて、ふたつなんだ 」と気付く。
肉体の知覚
■赤ちゃんが自分を体を、足を認識して驚く動画を見てからの思考
赤ちゃんは自分の体を認識して驚く
足があることはわかるが、それが「 自分の体の一部だ 」とは思ってない。
目に入る世界と自分の体の境界線が、まだ、わかっていない。
自分の目に、足が映って、足を動かす感覚があって、そこで、気付く。
なんか動かす感覚があるから、動かしてみたら、目の前の足が動いた。
自分で動かす感覚がある足と、目の前に映った足が連動してることがわかる。
動かす感覚と目に映る景色が一緒ってことは、、、?
この目に見えている足って、自分の体ってこと?
このヘンテコなやつが、自分の体の一部ってこと?
えっ、マジか、、、
自分の体と目に見える世界の境界を認識して驚く。
さっきまでは、ただの景色、今では自分の体である。
- 視覚と触覚 ( 足を動かす感覚 ) によって、足を知覚する。
- 自分の体と世界の境界を認識する。
- 足が「 体の一部だ 」と認識する。
自分の体の範囲すらわからなかった。
私は、本当に何も知らなかった。
私の体は、自分で認識するまで、私とは切り離されていた。
→ 肉体の知覚
私は気付いたら、意識があった。
私は自分の意識を、生命の誕生まで、さかのぼらせることはできない。
私は自分の意識を、この世界の誕生まで、さかのぼらせることはできない。
私は、いつのまにか意識があった。
→ 意識の知覚
私が死ぬときも、いつのまにか意識がなくなる。
眠るように気が付いたら死んでいる ( 死んでるから気が付くことはないが )。
意識の知覚と肉体の知覚の前後関係はわからない。
記憶がないだけなのかは、わからない。
意識の知覚
■意識の知覚についての思考
忘れる:辛いことや不快なことから自我で守るための防衛機能
フロイト
(1) 意識あり
記憶を思い出せないだけ
生命の誕生から?
この世界への誕生から?
最初から意識はある。
意識という概念は知識なので、意識を自覚することない。
意識はあれど、もっと根源的に生命に忠実に生きているだけだ。
① 記憶という回路はあるが、生命活動が多忙すぎて記憶回路の起動まで到らない。
② 記憶回路は始めからあるわけではなく、脳の発達によって作られて進化していく。
③ 記憶回路はあって記憶情報もあるが、それを今、意識に戻す、取り出す機能が退化している。
覚えることが多すぎてノードが退化した。
(2) 意識なし
意識が存在するまでは、動物に近い生き物である。食う寝る遊ぶという生命活動を行う。
ある時、何かのきっかけで、意識が降りてくる、あるいは意識が芽生える。
しかし、それは、ある瞬間に突然、覚醒するわけではない。
朝、寝不足で意識がはっきりしない状態に近いかもしれない、起きてるような寝てるような夢心地な気分である。
それから、だんだんとハッキリしてくる。
目が覚めて、起きる。
意識の覚醒 = 最古の記憶
(3) 変化
無意識から変化して意識が形成される。
無意識100%
↓
無意識95%意識5%
↓
無意識80%意識20%
無意識の状態 = 動物
意識が発達することで人間へと近付いていく。
コメント