思考というツール

湯浅

「 反応しない練習 」からの思考

2022/5/1

思考とは問題を解くツールである。

思考は「 問題 」という餌が大好きなので、すぐに問題を発見してしまう。

・問題の認識が、反応である。
・私たちは、問題と捉えなければ、反応しない。
・関心がないことは問題にならないので、無反応である。

そして、反応した後は、その反応に応じた判断を下す。判断とは、問題の解答である。

反応で問題を認識して、判断で問題を解答している。

私たちは毎日、この作業を何万回と繰り返して、日常を過ごしている。私たちは、反応して判断することが、問題を認識して解答することが、癖になっている。癖になるどころか、癖が耐えまなく繰り返されることで、習慣となり、やらないと気持ち悪くなっている。歯磨き・シャワーは習慣となっているので、やらないと気持ち悪い。それよりも頻度が異常に多いだけだ。

その習慣が繰り返されることで、やらないと気持ち悪いどころか、やることで気持ちよくなっている。反応して判断することが、問題を見つけて回答することが、気持ちよくなっている。気持ちいいから、ずっと繰り返している。頭の中で、一日中、問題の認識と解答を思考している。

問題を認識と解答の結果は、感情をもたらす。

私たちは、反応して、判断して、感情を生み出すという行為を延々と繰り返している。

反応 → 判断 ( 問題の認識 → 解答 ) を繰り返す、そして、そのたびに感情が生まれる。感情は、快のこともあれば、不快なこともある。感情は、快と不快を楽しんでいるので、いわば娯楽である。私たちは、毎日、瞬間瞬間に「 反応して判断して感情を上下させる 」という娯楽を楽しんでいる。

感情は快と不快の娯楽だ。

「 気持ちいい 」「 楽しい 」「 嬉しい 」という感情だけでなく「 痛い」「 悲しいも 」「 辛い 」も感情である、娯楽の一種である。

痛みも娯楽?

痛みは「 痛みから解放される 」という「 マイナスから0 」への工程を娯楽としている。「 0からプラス 」の気持ちいいとスタート地点が違うだけだ。何もない状態から快と不快から何もない状態は、算数的にも同じだ。

反応 → 判断 ( 問題の認識 → 解答 ) は、思考である。思考は、頭の中の出来事なので、現実の出来事ではないので、妄想にすぎない。思考は、気持ちいいから、頭の中で妄想を繰り返している。

思考の結果、生み出される感情とは、煩悩である。

私たちは、思考を止められない、その結果、生み出される感情をコントロールできない。
煩悩を生み出して、煩悩に執着している、煩悩の奴隷である。

【本要約】反応しない練習
私たちの悩みは、心の反応から始まっている。そして、私たちの日常は心の反応で作られている。悩みを根本的に解決するには、ムダな反応をしないことだ。
【本要約】史上最強の哲学入門
西洋哲学は無知を前提として、無知を自覚して、真理の到達を階段式に目指す。一方、東洋哲学は、そもそも理解することは不可能である。

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