時間と体感時間
2020/10/14
時間と体感時間
日常にも飽きた。
それは、同じことの繰り返しだからである。毎日、同じような日々を送っていたら、体感時間は、瞬く間に、短くなっていく。もう1週間が過ぎた、もう1カ月が過ぎたと感じる。
時間は、すべての人に平等に与えられるけれど、体感時間は、個人によって、異なる。1日が長く感じる日と、1日が短く感じる日がある。
そして、湯浅は、時間は命と考えている。限りある命を使って、時間を最大化、つまり、体感時間の最大化こそが、人生を有意義に過ごすための秘訣であると考える、否、秘訣ではなく、必須である。幸福とは、体感時間の最大化にある。
体感時間の最大化
人は、環境と習慣の生き物である。
そして、環境と習慣で、体感時間が決まる。
環境や、習慣が変われば、体感時間が、長く感じる。
世界一周とは、環境が変わる日々である。
日々、変わり続ける都市や国という毎日。
言葉も、文化も、食事も、何もかもが、目まぐるしく変化する日々。そんな日々は、体感時間が長い。環境が、変わり続けるからだ。
日本で過ごす時間とは、比較にならない。日本に居たら、1カ月前、1週間前のことなど、記憶にない。同じような日常は、記憶に残らないし、体感時間が短いのある。
記憶に残らないような毎日は、同じような日常の原因は、習慣である。
習慣
人は習慣によって、日々を過ごしている。
朝起きたら、トイレに行き、朝食を取り、歯を磨き、身支度を整えて、最寄り駅までいつもの道を通って、いつもの電車に乗って、いつもの会社の最寄り駅で降りて、会社へ行く。その合間、合間にスマホを見ながら。
習慣によって、過ごす日々においては、脳をあまり使わない。脳をあまり使わないと、記憶に残らない。例えば、いつもの電車の中で、とても不快な思いをしたとしたら、その時、脳は活性化される。だから、記憶に残る。そして、いつもは、スマホを見ていて、気にならない通勤時間も、不快な思いをしている間は、とても、長く感じる。脳が活性化している間は、体感時間が長い。
世界一周では、
日々の習慣なんていうものは、存在しない。出発時間だって、バスや電車や飛行機の時間次第なのだから、24時間問わない。
日々、過ごす街が変わるのだから、1日として、同じ日はない。同じ街でも、行きたい場所は、いくらでもある。そして、1日1食の美味しい食事を探し求める。必ず、食事にはありつけるが、それが美味しいかどうかはわからない。1日1食の食事という習慣はあるけど、1日3食の美味しい食事という習慣は存在しない。
環境が変わり続ける日々の中で過ごし方という意味での習慣はないが、別の習慣はある。
ブログである。その時、その街で感じたことを、ひたすらに、アウトプットすること。世界一周という夢の軌跡を、可視化すること。ブログと写真を通じて思い出せば、世界一周の1年の1日1日の記憶を鮮やかに、蘇らせることができるだろう。
海や、島や、田舎は、人が穏やかで、のんびりしている。のんびりした街もまた、体感時間が長い。沖縄に行ったり、地元の長崎に帰ると、のんびりしていて、体感時間が長い。意図的に、体感時間を狂わせる方法もある。ドラッグである、酒である。酒に酔うことで、体感時間は収縮する。収縮するので、長くなるとは限らないが。
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