「遊び」という価値の本質
2021/8/29
- 仕事とは、自分の時間を使って、
誰かが楽しいと思うこと、誰かの役に立つこと、誰かの経済的利益になることをすること。 - 遊びとは、自分の時間を使って、
自分が楽しいと思うことをすること。
人によって趣味が違うように、人によって遊びも違う。ゲームは好きな人が多い遊びだ。でも、全員が好きな遊びではない。湯浅はゲームが好きじゃない。ゲームをすることはない。ギャンブルもしない。スポーツも観ない。「楽しい」と思わないから、遊びじゃない。
本を読んだり、本をまとめたり、こうして文章を書いたりすることは、楽しい。だから、遊びだ。
動画を観ることは楽しい。動画は「自分が体験したことがあること」「自分が体験したいこと」を疑似体験する。だから、テレビは、おもしろいのだ。家に居ながら、気軽にいろんなことを擬似体験できるからだ。
キャンプに行かなくても、キャンプの気分を味わえる。野球場に行かなくても、野球観戦の気分を味わえる。野球しなくても、野球した気分を味わえる。
そして、その擬似体験の場は、インターネットやスマホの普及によって、YouTubeやTikTokといった動画へと拡張した。
自分の興味がある様々な体験を、簡単に擬似体験することができる時代が到来した。
私たちは、家に居ながら、何もしなくても、楽しい遊びを擬似体験できる。
世界的流行風邪の影響もあって、遊びの形が、よりデジタル化していっている。実際の体験ではなく、動画の中での擬似体験へと進んでいる。
その先の未来が想像できる。
擬似体験の極みは、仮想現実の世界だ。
マトリックスのような世界である。
それは、仮想空間の中での擬似体験が、現実の世界を超えてしまう未来だ。
家の中で動画を見る擬似体験より、家の外で自分で実際に体験することだ。遊びの本当の価値は、体験にこそあるのだ。
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