思考停止の罠 〜 誰かの思惑に向かって生かされている現代の大衆

思考停止の罠

2021/7/27

社会の中に入ると、他人が気になるのは本能である。
社会の外にいると、他人が気にならなくなる。

社会の中

人は社会の中で生きていると、どうしても、受動的にならざるをえない部分も出てきてしまう。人に合わせたり、人の話を聞いたり、人の影響を受けてしまう。

私たちは、テレビやスマホという画面の中の社会からも、ニュースやSNSを見ることで、影響を受ける。影響を受けるということは「自分の中で小さな変化が起きている」ということだ。影響を受けて「自分が少し変化している」のだ。

私たちは、ニュースやSNSなどのメディアを見ることで、受動的に情報を受け入れている。自分で意識してニュースやSNSの内容を変えることはできない。

受動的とは「無意識にメディアの情報を取り入れている」ということに、他ならない。

メディアは、大衆を、社会を、操る機能がある。

受動的にメディアの情報に触れているということは、メディアの影響を受けて自分が変化している。メディアによって「自分の意識しないところで、自分を変化させられている」ということだ。

その状況は、思考停止以外の何者でもない。

自分が、変化させられているのだ。
自分の意思ではなく、
自分の無意識に、
誰かが望むように。

現代人は、思考停止しながら、自分の意思とは関係なく、誰かの思惑に向かって生かされている。

社会の外

社会とは距離を置き、受動的に、メディアからの無駄な情報を受け入れない。

過去の知見の宝庫である本から情報を得る。本の情報は、無駄な情報ではなく、価値のある情報である、知識である。

本を能動的に選ぶということは、自分に必要な知識を選ぶというとだ。

自分で選択した知識に触れることで、自分の思考を、能動的に変化させることができる。

思考停止して自分の意思を操られる人生か?自分の意思で立ち止まったり、歩んだりする人生か?

湯浅は、今、立ち止まっている。
湯浅は、自分をアップデートするために、OSの再インストールをしている。

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