大学の意義~自分で稼ぐ、給与を貰う

お金

大学の意義~自分で稼ぐ、給与を貰う

2020/9/30

カフェで、高校生が勉強している。高校生の勉強は、大学行くための勉強だと思ってる。今の時代、自分で稼ぐ力があれば、大学に行く必要はない。資本論から見える、大学に行くために勉強することの意義について思考する。

給与は貰うもの

自分でお金を稼ぐ力は、自分にはない。
そうやって、お金を稼いでこなかった。
企業に勤めて働くことが当たり前の感覚で、
労働者として働くことが当たり前の感覚で、
給与を毎月貰うことが当たり前の感覚で、
自分で稼ぐなんて、考えたこともなかった。

ましてや、自分で稼ぐの延長線上にある、会社を起業するなんて、そういう人もいるんだーという他人の絵空事だった。

そもそも、いい高校に行って、いい大学を目指したのも、いい給与を貰うためだった。決して、自分でお金を稼ごうなんて考えていなかった。

給与は貰うもので、自分で作り出すものではなかった。

自分でお金を稼ぐ

今は、自分でお金を稼ごうとしている。それは、とても、難しいことだ。自分でお金を稼ぐのは、難しいから、誰もやらない。

そもそも、大半の人は、自分でお金を稼ぐ発想がない。

企業に勤めて、労働した方が、楽である。企業に、資本家に、搾取されているとは言え、毎月、給与を貰えるのだから。安定、安心がある。

安定、安心ほど、人の本能に基づいた感情はない、ほぼ根幹である。安定、安心を得るように、進化してきたと言っても過言ではないくらいに。

自分でお金を稼ぐのは、難しいから、誰もやらないから、価値があるし、労働者の何倍もお金を稼げる可能性がある。

すべての事象が、リスクとリターンの裏返しになるようになっている。

自分でお金を稼ぐことの意味

自分でお金を稼ぐ力を得たとき、人は自由という切符を手に入れる。

ドストエフスキーも言っている

「お金は鋳造された自由だ」

自由とは無限の選択肢である。

大学に行ってもいい。行かなくてもいい。多くの人は、将来、いい会社に行くために大学に行っている。いい会社に行って、お金を稼ぐためだ。

だから、自分でお金を稼ぐ力があれば、大学に行く必要がない。自分でお金を稼ぐ力があれば、大学に行くのは自分の学びたいことを学ぶためである。それは、大学の本来の役割である。

お金は自由を与え、自由はモノゴトの本質に帰結 する。

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