【本要約】無理の構造

【本要約】無理の構造

2021/9/7

理不尽な世界

世の中には理不尽なことが溢れている。

その理不尽さとは何なのか?

理不尽さのメカニズムを可視化する。

【理不尽なことが起こる原因】
自然な流れや法則に従っている。どこかに無理がある。無理の構造を明らかにすることで、理不尽な根本原因を突き止める。

頭の中の「コペルニクス的転回」という手法を用いる。

理不尽なのは、世の中ではなくて、私たち人間の頭の中である。

人間は、身の回りの事象を法則やルールで表現することで賢くなってきた。

そんな世の中を支配する一般的な法則が「理」である。理不尽とは、一般的な法則や「あるべき姿」と反している。「理にかなってる」状態 ( あるべき姿 ) と実体とのギャップが理不尽さの根源にある。

このギャップを目にした場合「世の中が間違っている」という前提で考えはじめる。私たちが、信じている「理」は、単なる自分の思い込みで、そのことに気づいてないことが、理不尽さの原因となっている。

理不尽さの元凶は、私たちが「本来、同等でないモノを同等だと思い込んでいること」に気付いていないことである。

「対称性の錯覚」という根本的誤解である。

物理の法則のように人間社会にも抗うことのできない基本原理や法則がある。

【物理法則と人間法則の相違点】
①人間がならではの特徴に根ざしている。
②ひとつひとつの目の前の事象に100%当てはまるわけではないが、大きな流れでみるとほとんど当てはまる。
③法則に気付かずに「無駄な抵抗や努力」をしてしまう。

対称性の錯覚

対称性の錯覚

対称性の錯覚
反意語であり、同等で反対の概念のように錯覚している非対称のこと
  • 善と悪
    善いことはニュースにならないが、悪いことはすぐにニュースになる。
  • 悲観と楽観
    楽観的な人は、頭が悪そうで、悲観的な人は、暗そうだ。
  • 同じと違う
    同じは一通りだが、違うは何通りもある。
  • 変えると変えない
    変えないのは楽で無難だが、変えるのは膨大なエネルギーが必要である。
  • 知っていると知らない
    一度知ったら知らない状態に戻れない。
  • 満足と不満足
    満足した人は黙っているが、不満足な人がアンチコメントをする。

このような錯覚の積み重ねが、私たちが日常感じる「理不尽さ」の根本にある。

非対称の存在

左右対称には、違和感がなく、上下対称には、違和感がある。
左右になく、上下にある見えない存在が、重力である。

東西南北を考えたときに、東西は同じで、南北は、北の方が南の方より価値があるように直感で思う。それは、見えない重力の影響と、私たちが北半球に住み、先進国は北に存在するからだ。

非対称の裏側には、重力ほど明確でなくても、一方向に作用している「見えない力」「見えないメカニズム」が存在している。

物理法則のように誰が見ても客観的な公式ではないが、人間が持っている根本的な性質に基づく法則である。

人間や社会が従っている根本的な対称性
・知的非対称性
・心理的非対称性
・物理的非対称制

知的対称性

知識の非対称性、思考の非対称性

知識は、増えることはあっても減ることはない。忘れることはあるが、記憶そのものが消えたわけではないので、減ることはない。覚えるは、増えるだけである。忘れるはランダムである。

心理的非対称性

人間心理の非対称性

  • 厳しいモノから楽なモノへは自然に流れていくが、逆は相当の覚悟が必要である。
  • 思考状態から思考停止へと流れやすい。
  • 刺激はどんどん強いモノを欲していく。
  • 一度手に入れたモノは手放せない。
  • 生活レベルを上げるのは簡単だが、下げるのは難しい。

「水は低きに流れること」と「現状維持を望む傾向」

増やすことに抵抗はないが、減らすことには大きな抵抗を示す。
変えることよりも変えないことを選ぶ。

物理的非対称性

具体と抽象の非対称性

お金は、人間が生み出した最も重要な抽象概念のひとつである。

「100円」という価値を抽象化したことで、世界中のどんな国でも、お金を使うことができるようになった。

そして、もともとは対称性があった物々交換 ( 具体と具体 ) が、物と金 ( 具体と抽象 ) の交換である売買に変わることで、非対称性を生み出した。

この非対称性によって、売買には上下関係が発生した。買う側 ( 抽象 ) が、売る側 ( 具体 ) より、優位な関係になるような価値観が横行した。

不可逆の錯覚

質的な不可逆性

時間の不可逆性

時間の不可逆性とは、自然の状態へと戻っていくことだ。

お湯は放っておけば冷めることはあっても、自然に熱くなることはない。不可逆である。

人の集団としての社会も組織もエネルギーと同様に、自然回帰していく。

没個性化
子どもが成長するに従って、個性がなくなり、同じような集団になる。

社会に求められるニーズが、難しく抽象度が高いモノから、やさしく分かりやすいモノになっていくことも不可逆である。

テレビ番組は、難しいニュースや教養番組よりも、わかりやすく笑えるバラエティーへと移り変わり構図である。

これは、大衆の平均レベルに合ってくるということでもある。

量的な不可逆性

フローとストックの関係性

フローとは流れで、ストックは蓄積である。
流れは個々の変化で、変化の集合体が蓄積である。
会社の財務諸表では、損益計算書(P/L)がフローで、貸借対照表(B/S)がストックである。

人間の活動では、ひとつひとつの行動がフローで、その結果として辿り着いている状態がストックである。思考がフローで、思考の結果の蓄積が知識がストックである。

ストックは、入れるのは簡単だが、出すのは困難である。

一度、ストックされた資産を取り崩すのは、難しい。

【自然に任せていれば増える一方で、減少させるとが難しい現象】
ルールや規則
会議
信号機
準特急という電車
特急の停車駅
テレビチャンネル
リモコンのボタン

増やすのは簡単でも、減らすには勇気や意気込みと、増やした時より長い時間が必要になる。

ルールや規則が良い例である。何かトラブルがあると、再発防止のために、必ず何らかのルールができる。時間が経って様々な環境が変化した後で、そのルールが意味をなさないことが誰の目にも明らかな状況になっても、「なくせるか?」という話になると、「何かあったらどうするんだ?」という話になって、誰もその責任を取りたくないので、結局、「中々、減らせない」という構図である。

政治の世界では、独裁は悪いことの象徴のようだが、そもそも独裁者は権力を握る過程では、それまでの体制の不満を一気に解消したからこそ、その地位を築けたのである。ビジネスの世界では、カリスマ的創業者のリードがポジティブに働くことが多い。

空間の非対称性

自分と他人の非対称性

私たちが頭の中で浮かべる心の空間に着目する。

空間において対称な関係とは、どの場所も対等である。だから、非対称であるとは、中心が存在する。中心が存在すると、必ず、中心とそれ以外という非対称な関係が発生する。

人間には、絶対的な中心が存在し、それが様々な非対称性を生み出す。

人間の心の中心は、自分自身である。

すべての人には、自分という中心が存在し、自分をベースにしてモノを見て思考する。

従って、自分が他人を見る目と、他人が自分を見る目は決定的に異なっている。自分と他人の非対称性である。人間は、自分を中心にしてしか、モノゴトを考えられない。

他人に1番話したいのは愚痴と自慢だが、1番聞きたくないのもまさにその2つである。

  • 自分のことは特別だと思うが、他人のことは一般化して考える。
  • 自分の成功は実力だと思うが、他人の成功は運だと思う。
  • 自分の失敗は運だと思うが、他人の失敗は実力だと思う。

人間は自己矛盾の塊である。

私たちが世の中に抱く理不尽さは、起こっている現象が原因ではなくて、自分たちの頭の中にある。

人間の頭の中こそが理不尽である。

コミュニケーション

コミュニケーションにおける最大の問題は、「それが達成された」という幻想である。

コミュニケーションは幻想である。

「言葉の意味」の共有は難しい。

コミュニケーションにおいて、「伝える」と「伝わる」の間にギャップがある。「伝えた」からといって「伝わった」と思ってはいけない。

公平

理不尽さを感じる根底には、「すべての人間が公平である」という前提がある。その前提自体が理不尽さをという諸悪の根源である。

人の数だけ公平さは存在するので、私たちが持ち出す公平さは、所詮、自分にとって都合のよい公平さでしかない。

世の中は不公平であるという前提を置く。
人生は不公平にできている。

だから、努力は無駄で意味がないのではなく、だからこそ、与えられた公平ではない環境で、努力することに意味がある。

イノベーション

イノベーションに必要な要素

  • 常識や既存ルールの打破
  • 失敗の許容
  • 変人の登用
  • 人種や学歴に捉われない実力主義

全体像

全体という概念自体も極めて曖昧である。

「何が全体か?」をどう捉えるかが問題である。全体というのも、所詮、何かの前提を置いた上での全体である。全体を定義した時点で、その外側も出てくるという矛盾を含んでいる。日本を全体とすれば海外という外側、世界を全体とすれば、地球外という外側が必ず存在する。

全体というのはある視点を持った人が、全体の定義の下に用いる言葉で、部分も、全体の定義に対しての部分ということになる。全体というのも、実は、部分の一種でしかない。

視野の狭い人に向かって、もっと視野を広げてとか、全体を見てと言っても、効果はない。視野の狭い人は、自分の視野の狭さに気付きようがないのが最大の問題である。

これは気付きの問題であるが、自分の視野の狭さに気付くためには、「外側の領域の存在」に気付く必要がある。

無知

3つの無知
・事実の無知
・範囲の無知
・判断基準自体の無知

【事実の無知】
静的な知識や情報に関する無知
知っている、知らないで語れる無知である。
「漢字を知らない」
指摘されれば簡単に気付ける無知

【範囲の無知】
程度の大小に関する無知
比較対象が限定的であることから起きる無知
「井の中の蛙大海を知らず」
数字で表せない基準については、気付けない。

【判断基準自体の無知】
芸術作品・小説・映画などのおもしろさがわからないという無知
自らはおろか、他人に指摘されても、「そういう世界がある」こと自体を理解するのが至難の業である。

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