順位を付けないという価値観
2021/7/27
食べ物が好き!
「とろろご飯と、卵ご飯どちらが好き?」
と聞いて、
「どちらとも好き」
という回答で、順番はない。
好き・普通・嫌いで、区分けされているだけ。
すべてのものには「順番がある」と思っていた。
1本の軸があって、そこに「何でも順番に並んでいる」と思っていた。
順番を付けられながら生きてきた世代と、ゆとり世代の差なのか?
- 小学校の通知表
- 中学校のテストの点数
- 高校のテスト結果の順位表
成績で順番を付けるのが当たり前だった。
成績で順番が付けられ「順位が小さい方が、優秀で偉い」という価値観が、日常として存在していた。
- 誰かと争うことを、自然と強いられていた。
- 他者に勝つことを、モチベーションとして植え付けられていた。
そんな教育の中で育ってきた。
背の順や名前順という順番で、体育館や校庭に並ばされた。
順番がないことはなかった。
部活のユニフォームにも順番があった。
そんな教育の中で育ってきたから「何にでも順番が存在する」という価値観が、刻み込まれていた。
食べ物が美味しい!
どちらとも美味しい。
そこに順番は存在しない。順番を考えない。
新しい価値観は、突然やってくる。否、もともと、そこに価値観は存在していた、それに気付く感度を得た。知識によって、目の前のモノをスルーしなくなった。
そして、どちらとも美味しい。
そこで「順番を思考する必要はない」という価値観を得た。
「いつも、思考すること」だけが正しいわけじゃない。思考しないことには「比べない」という豊かさがある。
コメント