得意って何だろう?
2021/12/14
得意は怒り
それは、自然とやっていることだからだ。気にしないくらいに自然にできていることだから、それが他の人と比べて優れていることには気が付かない。
他人に指摘されて、初めて気付く。
自分の中の当たり前は、実は、他人にとっては、スゴイことだったりする。
でも、それに自分で気付けないことが、ポイントである。自分が「自然に」「気にしないで」やっていることだから、わからない。他人に指摘されたら気付くこともあるが、他人も相手の個性のように捉えていることがあるので、指摘することもない。
いかにして、自分で自分の得意なことに気付くのか?
自分を客観視することだ、自分を客観視することで、自分の得意なことを見つけることができる。しかし、それができたら、さっさと見つけている。簡単に、客観視できないから、見つけられないのだ。客観視とは他人との比較である。
他人に対して自分がイライラすることである。
自分がイライラすることは、自分にとって当たり前のことだから、自然にできることである。仕事や他人とのやり取りの中で、イラッとしたら、それが得意なことかもしれない。イラッとすることは、得意の発見だ。
得意は相対性
また、本によっても、気付くことができる。本は自分じゃない他人が書いたものだ。当たり前だ。客観的な視点で書かれている。しかし、ただ字面をなぞっただけでは、得意には気付けない。自分が気になる文章や、筆者の考えや、新しい知識を、一段掘り下げて自分の中で思考することで、初めて、自分と他人の違いに気付くことができる。
他人より優れているところが得意なのだから、自分だけでは得意は存在し得ない。得意は相対性である。
私たちは、自分では気付かない得意があって、その得意を活かすことで、より生きやすくなるはずだ。
私たちは、いつも苦手にしか目がいかない。あの人には、できているのに自分にはできていない。それは、脳にネガティブ優位の性質があるからだ。意識的に自分でコントロールしないと、その性質にコントロールされる。
だから、意識して、自分の得意に目を向けるようにしなければならない。あの人にはできていないことを、私は、自然にできているのだ。あの人は「自分にはできないことができている」と私に対して思っている。
私たちは、得意・不得意がある。それは、食べ物の好き嫌いと同じようなモノだ。ただの個性に過ぎない。私たちは、好き好んで苦手なモノを食べたりしないけど、好き好んで不得意なことをやったりしている。私
たちは自分の得意に気付けていない。得意に気付いていても、それをうまく活用する術を知らないだけだ。得意を知り得意を活用できれば、自信が付く。自信とは、自分を信じることだ。自分を信じるためには、自分の得意を探すことだ。それが自信の源泉だ。
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