やりたいことの見つけ方6〜論理と感情
2021/5/9
やりたいことの見つけ方で、自分が考える社会に対しての不平を書き出した。
- 非効率なやり方でやる。
- 同じことを何度も繰り返す。
という言葉が出てきた。
自分としては、当たり前過ぎる言葉である。
何でも、効率的にやる。効率的なやり方を考え続ける。最適化を目指す。
同じことの繰り返しは、どうしたら、単純化できるか。そもそも、同じことを繰り返さなければならないのはなぜか。
という風に考えてきたし、それに、何の疑問も持たなかった。
よく考えたら、この思考って、プログラミングそのものじゃないかと。
効率的にするためにプログラミングするし、同じことを繰り返したくないからプログラミングする。
プログラミングで、お金を稼いできた。たくさんプログラミングしてきた。
その結果、自分の思考そのものが、プログラミング化していた。
人は環境の生き物である。
プログラミングしまくったら、超論理的な人間になった。
- 俺は、人の感情はわからない。
- 人の感情は、非論理的であるからだ。
俺は、もともと、論理的思考を持っていた。そして、プログラミングを仕事にすることで、その論理性に磨きがかかった。
その結果、論理性に覆われて、全てを効率化して、世界を見るようになった。
論理も極まると、感情を排除してしまう。
人は、論理だけで生きていない。感情もあって生きている。論理的に正しいことが、生き方として、正しいわけじゃない。感情的に生きる生き方もある。
超論理的思考で生きてたら、感情的思考での生き方とのズレができた。そのズレはミゾとなり、修復不可能なキレツへとなった。
離婚の原因がまた1つ、可視化された。

やりたいことの見つけ方7〜結論
お金を稼げているわけではないのに続けられるのは、それがやりたいことだからである。そして、お金を稼げてないのは、人の役に立ってないからである。
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