「死とは何か」からの思考(1) 〜 人生は暇つぶし
2021/5/12
これを聞いたときは、衝撃だった。
何その視点?
でも、よくよく、考えてみると、確かにそうである。
学校や仕事も暇つぶし
学校も仕事も、選択している。
行かなきゃ行かなくてもいい。
「行かなきゃいけない」と思い込んでいるだけだ。
この事実を飲み込んで、腹落ちさせるまでには、時間を要する。
我々は、学校教育を受けて、それを当然として受け入れてきた。そう育てられたのだから、それ以外の新しい価値観の受容に、時間を要する。
新しい価値観を受け入れたとする。
だからと言って、行動しない。
学校を辞めたり、仕事を辞めたりしない。
学校を休んだり、仕事を休んだりしない。
人の習慣はそう簡単に変えられない。
そして、実際に、学校や会社から、解放されたとしよう。行かなくてもいい自由を得たとしよう。
結局は、暇になる。
暇つぶし実践編
最初のうちはいいかもしれない。
しかし、飽きる。
変化のない毎日に飽きる。
飽きて、暇になる。
暇だから、何か新しい変化を求める。
暇だから、本を読んだり聞いたりして、新しい知識を得ようとする。知的欲求を満たそうとする。いろんな知識を得て、世界のことが理解できるようになる。
そうすると、本を読んだり聞いたりすることが日常になる。飽きて暇になる。暇だがら、また、何か新しい変化を求める。
暇だから、本を読んだり聞いたりした知識で、将来、役に立ちそうなことをはじめる。投資、資格の勉強をする。
暇だから、「好きなことをでお金を稼いでみよう」と思う。ブログをはじめる。
投資は長期投資なので、日常で何かすることはない。資格の勉強は、資格取得と同時に終わる。ブログに終わりはないが、日常になる。
飽きたわけではないが、暇になる。
暇だから、お金を稼ごうと考える。
お金を稼ぐ方法は、資本家になって労働者に働いてもらうか、労働者になるだ。
「労働者になることは、搾取されることだ」という知識を本から得たら、もう、労働者に戻りたくない。

資本家の道を目指すしかない。
お金の勉強をしているときに出会った資本家が言った。
「お金は、人の役に立った対価として得るものだ。」
労働者の時は、労働はお金を得るときの手段として考えていた。
逆だった。
まず、人の役に立つことをする。その結果として、対価のお金を得られる。
では、人の役に立つことをしてみる。
←今ココ(無職800日)
確かに、人生は、暇しぶしの連続であることが証明された。
暇つぶしの結論
学校に行ったり、仕事したりは、安易な暇つぶしである。多くの人がそうしているから、疑いもなく安心だ。そして、仕事をすれば、安定的な収入を得られる。
これは、安易じゃない暇つぶしの結果である。より難しい方の暇つぶしへと舵を切った結果である。
本当の暇つぶしは、かんたんじゃない。
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