「死とは何か」からの思考(4) 〜 人生は夏休みの思い出作り
2021/5/25
情報は、行動につながるものと、行動につながらないものがある。
- 行動につながる情報を、『知識』という。
- 行動につながらない情報は、『ノイズ』である。
行動につながる情報
知識が欲しいと、本を読む。歩きながら本を聞く。
お金、時間、健康、そして、その上に存在する幸福を得たいとおもう。
知識がないから、今、手に入れられていないのだ。
知識によって、行動によって、そのすべてを手に入れる。
それが、人生、生きる意味。
お金、時間、健康を手に入れて、幸福を味わうことこそ、辿り着きたい未来、掴む未来である。
行動につながらない情報
- ニュースを見て、行動が変わるなら、それは必要な知識である。
- ニュースを見て、行動が変わらないのなら、ニュースは、ノイズである。
「ニュースは必要だ、ニュースを見なければならない」という思想は、メディアに支配されている証左である。
自分が、全然、知らない人が、交通事故で死んだ。確かに、かわいそうだが、その情報が何になる?道を歩く時に気を付ける?そんなの当たり前だ。道を気を付けて歩いているのに、交通事故に遭うから、どうしようもないのだ。だから、不慮の事故というではないか。
芸能人が、結婚した、不倫した、離婚した。マジで、どうでもいい。その情報を知って、自分の行動は、1ミリも変わらない。ただのノイズだ。
ノイズは、命という時間の無駄遣いだ。
生きる価値
他人の情報を得ることに夢中になって、それで、自分の命という時間を浪費している。
1日中、テレビを見て、そんな他人のどうでもいい情報を得て過ごす時間は、自分の時間を過ごしていることになるのだろうか?
そこに、自分が生きている価値は、あるのだろうか?
確かに、そこに、存在価値はあるかもしれない。存在しているだけで、まわりの人が悲しまないという価値だ。
では、その本人の価値、自分にとっての価値とは、何だろうか?
生
死について学び思考することは、生を直視する。生について、さらに、深い思考を促す。
- 生とは何か?
- 生きるとは何か?
- 人生とは何か?
思考は疑問へと転化した後、本質へと辿る。
- 生の価値
- 生きる意味
- 人生の過ごし方
生を輝かせるために、人生はある。
欲しいのは、死ぬ直前の人生のやりきった感である。
人生という思い出を抱えて、人は死を迎える。
人生という思い出作りのため、生きる。
夏休み
例えば、夏休みの思い出作りのような感覚か。
夏休みを、毎日、ダラダラして過ごすのもいい。でも、それじゃ、夏休みの絵日記は、描くことがない。
自分が死のその時に抱えているのは、夏休みの絵日記だけなのだ。
- 「ダラダラして過ごした自分の人生だった」という絵日記なのか?
- 「いろんな失敗もしたけれど、成功もあったし、苦労もあったけど、幸福もあった。山あり谷ありの人生だった」という絵日記なのか?
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