「死とは何か」からの思考(5) 〜 【結論】死は、旅人にとっての知らない国

「死とは何か」からの思考(5) 〜 旅人にとって、死は知らない国

2021/5/26

人は、死を恐れるのは、未経験であり、経験談がないからだ。

どんなものか、わからないから、死を恐れる。

他人の死

そして、死を恐れる1番の原因は、自分の死より、自分以外の人の死に、多く接することである。

人の死に接すると悲しい。その人が、自分と近しい関係にあればあるほど悲しい。

  • その人と、もっと、話したかった。
  • その人と、酒呑んだり、食事したりしたかった。
  • その人と、旅行したかった。

その人と、一緒にやりたいことがあって、もう叶えられなくなったことに悲しむ。

でも、それは、死んだ人には関係ない。

ただ、残された人の感情である。

死とは未経験

死んだ人がどうなったかはわからない。
死んだことがある人はいないのだから。

だから、残された人の経験しかないし、残された人は悲しむ。そうして、死に対して、悲観的なイメージを持つ、勝手に、死んだこともないのに。

知らないことは怖い。そして、死については誰も知らない。だから、怖い。

でも、人はいずれ絶対に死ぬ。事実だ。

死んだことがないのだから、死はよく分からない。

旅人の未経験

死は、旅人からすると、行ったことがない国である。行ったこともないし、その国の情報は何もない。

行ってみたい。
そんな国、行ってみたい。

でも、死は、行ったら最後、片道キップである。

せっかく行った国のことを、こっちに戻ってきて、誰かに話すこともできない。
ただ、自分が経験するだけである。
その国に、その世界に、飛び込まないとわからないだけである。

死とは最期の好奇心

旅人的思考では、死とは、人生最期の好奇心を満たすモノである。

  • 死んだら、どうなるんだろう?
  • 死んだら、楽しいのかな?
  • 死んだら、つまらないのかな?
そういう心境にならないのは、死んだ当事者ではなく、残された人の立場にしか立てないからである。生きている間は、他人の死に向き合う機会しかない。自分の死に向き合うことはできない。

だから、他人の死を、自分の死と重ねてしまい、悲しい気持ちになる。

死を切り分ける

人のことは知らない。
自分が死んだ後、人のことなんかは知らない。

自分の死と他人の死を切り分ける必要がある。

他人の死は悲しい。でも、それは、死んだ人の気持ちではない、死んでない人の気持ちだ。だから、「自分が死んだら、誰かが悲しむ」と思って、自分の死を悲しむのかもしれない。

自分の死と、他人の死は別々だ。混同してはいけない。混同は、混乱を招く。

他人の死は悲しいのは事実だ。
でも、自分の死は、体験しないことには、わからない。

自分の死

実は、死ぬ時が人生の意味というくらいに、気持ちいいかもしれない。

死んだら、働かなくていいし、お金のことを気にする必要もないし、健康のことを気にせず、好きなモノを好きなだけ食べて、酒を呑んで楽しいだけの世界かもしれない。

全く、逆かもしれない。

  • 想像しても、わからない。
  • 期待しても、意味がない。
  • 不安に思っても、意味がない。

死んだ時のことは、死んでから考えればいい。

死までが生

死ぬまでに、今、生きている間に、できること、したいこと、楽しいこと、そんな時間を過ごすために、人生はある。

死ぬことを不安に思うより、生きている間にやりたいことをやりきることに力を注ぐ。

そして、自分の人生をやりきって、死への未知への興味を目の前に、死を楽しみながら、受け入れたい。「死とは、どんな国なんだろう?」そんな感覚だ。

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