言葉はパクリ、料理もパクリ
2022/6/4
狭く
オリジナル料理なんて、もはや、この世に存在しない。
すべての料理は誰かの真似事であるから、飲食店はパクリである。
言葉を学ぶとき、真似をすることからはじめる。
真似して覚えた言葉がオリジナルなわけがない。
この世界における人間の社会活動は、言葉を通して行われる。
言葉こそが人間の営みの根底である。
言葉なしに世界は成り立たない。
言葉がないもの画像はどうか?
写真や絵画にも名前が付いている説明している。
名前がない写真や絵画を見て感動した。
説明もないから、言葉も存在しないはずだ。
私たちは理解するときに言葉を使う。言葉なしに理解できない。感動した時点でその写真や絵画を一度、言語化している。明確な言葉になってなくても、頭の中では、言葉による情報処理が行われている。
私たち人間は言葉を用いて情報処理するように脳を進化させた。言葉をインプットして脳で情報処理して、行動する。
- 学校に行って勉強しなければならないとインプットして行動した
- 仕事をしてお金を稼がなければならないとインプットして行動した
- 結婚をして子どもを作らなければならないとインプットして行動した
「 私たちは自由意志で行動している 」という幻想の中で暮らしている存在である。
切る
地平線に沈む夕焼け。
地平線から上を「 空 」
地平線から下を「 海 」
赤く下に動いているキラキラを「 太陽 」
それぞれに名付けたに過ぎない。
世界、目に見える風景を切り切ざんだものが言葉で、そのそれを組み合わせることが書くことだ。目の前に広がる光景をすべて言語化などできない。世界を言葉で切りとって表現するしかない。目の前の世界は言葉で書くことによって情報が削られ狭くなった。
貨幣と言語は同じもの
貨幣と言語は機能が同じ
貨幣と言語は機能が同じ
貨幣:交換できる
言語:会話できる
貨幣:貯めることができる
言語:文章化して本やブログにできる
貨幣:価値を測ることができる
言語:人の価値は見た目ではなく、その人が話す言葉である。
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