【本要約】世界は宗教で動いている 〜 ジャーナリズム論

ジャーナリズム論

  1. ユダヤ教の伝統では、批判を行なうのは、預言者の役割だった。
  2. 現代では、預言者の役割を担うものとして、ジャーナリズムがある。
ジャーナリズムは本質的に、反権力でなければならない。
なぜなら、ジャーナリズムの役割は、政府を批判することだからだ。

その前提として、「政府や政治家が何を考え、どう行動しているか」を、人々に知らせる。人々は、政府や政治家の行動を「知る権利」がある。

  1. 人間は、罪深く不完全で、いくら注意しても必ず間違える。
  2. 政府や政治家も、人間である以上、必ず間違える。
  3. ゆえに、監視しなければならない。

政府や政治家が、監視の対象になるのは、権力があって、人民を従わせる力があるからだ。彼らが間違えれば、人民まで間違えてしまう。政府や政治家の巻き添えになって、正しい道からはずれ、神に対して罪を犯すことになってしまうかもわからない。だから、政府や政治家を批判することは、ジャーナリズムの務めである以上に、そもそも人民の務めでもある。

ジャーナリズム自体の監視は?

ジャーナリズム自身は、政府でも政治家でもなくて、権力を持っていないから、監視する必要性は薄い。そこで、ジャーナリズムの問題や腐敗を暴くのは、ジャーナリズム自身ということになっている。

  • 政府や政治家と結託して、権力の監視を怠っていないか?
  • 公共の利益のためではなく特定の利益のため、事実をねじまげて報道していないか?
  • 取材のやり方が、倫理的に問題なく、ルールに従って行なわれているか?

ジャーナリズムは政府と違って、さまざまなメディアに分かれているから、相互監視が実行できる。

  • ジャーナリズムにとっては、数多くに分かれていることが本質的である。
  • 数が多い方が、政府の弾圧が難しくなるからだ。

特に商業メディアは広告があるから、広告代理店の力が強くなる。
そのルートで、政府の意向が反映しやすくなる。

ジャーナリズムの質と部数は関係ない。欧米では「部数の多いのは質の悪い大衆紙」で「オピニオンリーダーになるのは少部数の高級紙」と相場が決まっている。

そして、ジャーナリズムがしっかりしているためには、すべてが質の高い新聞・雑誌である必要はなく、玉石混淆で、さまざまなメディアがあるほうがよい。

明治時代には日本にも、部数の少ない新聞がたくさんあった。そして政府を批判した。大東亜戦争のときに、出版統制があり、新聞は一県一紙にまとめられて、今もその体制のままである。

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