人殺しが讃えられる世界線
2022/3/22
人を殺してはいけない。
人を殺すと、法律で裁かれる。
人を何人も殺すと、死刑になる。
人を殺すと、法律で裁かれる。
人を何人も殺すと、死刑になる。
常識である。
日本だけでなく、世界の常識である。
しかし「 常識は絶対的正義か 」というと、そうではない。
人を殺していい。
人を殺しても、法律で裁かれない。
人を、殺せば殺しただけ、褒め称えられる。
人を殺しても、法律で裁かれない。
人を、殺せば殺しただけ、褒め称えられる。
- そんな世界は、このあり得ないのだろうか?
- 殺人が正義となる世界は、存在しないのだろうか?
私たちは、歴史を学ぶ。
人類は、人殺しを繰り返しながら、進歩してきたことを、知っている。
私たちは、殺し合うことで、様々なことを学び、成長してきたのだ。
たった、100年前は、戦争で、たくさん人を殺した人が、褒め称えられた世界だったのだ。
- 絶対的正義などないのだ。
- 絶対に変化しない常識などないのだ。
進化論である。
「 人を殺してはいけない 」という常識ですら、明日から戦争が始まれば、反転するのだ。
人を殺さなければならないのだ。
そして、昨日までの常識を捨て去り、人を殺した人だけが、生き延びていくのだ。
私たちは、変化の渦の中にいる。
戦争ほどの極端が起こらないとは、言い切れない世界だ。
常識を捨て、新しい変化に対応することでしか、私たちは、生き延びてはいけない。
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