山登りと山手線歩き

湯浅

山登りと山手線歩き

2021/12/27

人生を山登りに例えて思考すると、私たちは、みんな山を登っている。

山登りに、「頂上を目指す」という目的がないと、ただの山歩きになってしまう。山登りは、「山を歩く」という体験が楽しい。「頂上に辿り着きたい」という目的は、山登り体験をより楽しくする。頂上に辿り着くために山登りしているわけじゃないけど、山登り自体を楽しんでいるけど、頂上に向かって登る方がやりがいを見出せるし、終わりがあるから達成感もある。だから、ただ山を歩くんじゃなくて、頂上を目指して山を登る。

人生は、目的がなくとも楽しむことができるけど、目的があった方が人生がより楽しい。
本に書いてある非科学な事実
本は嘘がないはずだ、本は人間の叡智の結晶であり、人間の歴史である、本の信用が損なわれることは、世界を根本から反転させる。願望が実現することは、本に書いてある。
東京にも、まだ、行ったことない場所がある。旅に出なくても、東京で、新しい体験をすることができる。旅とは新しい体験に他ならない。東京の知らない場所へ行くことは、旅に近しい。

西日暮里で降りて、谷中ぎんざへ行ってみる。
思ったよりも、あっという間に終わった。こんなモノ?

日暮里の馬賊で、坦々麺を食べる。

お腹がいっぱいなので、健康のため、とりあえず、隣駅まで歩く。

鶯谷って、ラブホしかない。本当に、ラブホだらけだ。

もう少し、歩いてみよう、上野まで歩く。上野公園で大道芸を見る。

年末の慌ただしいアメ横を通って、御徒町まで歩く。

再開発された高架下を通って、秋葉原まで歩く。

ただ、何となく、歩いていただけだ。闇雲に歩くのではなく、山手線の隣駅を目指して、歩いていただけだ。山手線の駅それぞれに個性がある。そして「その駅に住みたいかどうか」を考える。住めない駅、住みたくない駅、住める駅、住みたい駅、いろんな駅がある。歩いてみて、街を感じて、初めて、わかる空気がある。

街を通して、自分を知る。
自分が「何を求めて、どんな街を選びたいのか」を知る。
私は「どこで、どんな暮らしを望んでいるのか」がわかる。
自分にとっての価値観がまたひとつ、雲が晴れるように、ハッキリしていく。

「隣駅から隣駅へと歩いていく」という体験が楽しい。いろんな駅のいろんな顔を知って、知らない街の知らない道を歩いて、楽しい。山歩きと同じだ。ただ、歩くのが楽しいだけだ。でも、山頂を目指すように「山手線を歩く」という、目的になった。

隣駅から隣駅へと、なんとなく歩いている間に、その行動自体が、新しい目的を持つ行動へと変容した。ただ、歩くという体験が楽しいから歩いているのだけど、「山手線を歩いて回る」という目的ができた。「何日間かに渡って、山手線のすべての駅を歩いて回る」という新しい遊びに転化した。山手線を歩いてみて、私は「どの駅に1番住みたいのだろう?」「行ったことない駅は、どんな街なんだろう?」

やってみるまで、やってないことは、わからない。やってみたら、新しい何かになった。やっぱり、やってみないことには、何もわからない。やってみたら、何かが生まれる。目的すら、作ってくれる。行動自体が目的化して新しい何かを創り出す。

わからないから行動しないのではなく、行動することでわかる。わかるために行動する。行動が、その先の未来を決めてくれる。はじめの一歩だ。はじめの一歩さえ前に出せれば、後は、慣性の法則で、どこかへ向かって進んでいく。必要なのは、はじめの一歩だ。

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