「動物園の動物は幸せか?」から考える幸せ

知識

「動物園の動物は幸せか?」から考える幸せ

2022/3/26

動物園の命題

動物園の動物は「 幸せか否か 」という命題についての思考
  • 動物園の動物は、狭い檻の中に閉じ込められて、見世物にされて、一匹なので孤独でかわいそう。

という視点が「 幸福ではない 」という見方だ。

  • 動物園の動物は、快適で安全な部屋の中で、自由気ままに過ごして、他者と関わらなくてうらやましい。

という視点が「 幸福だ 」という見方だ。

動物園と自然の動物界では、どうだろうか?

自然の動物界

  • 草食動物は、肉食動物から襲われる可能性がある、生死の危険がある。
  • 肉食動物は、いつでも獲物を捕獲できるわけではないので、餓死の危険がある。
    百獣の王でも、飢餓は日常である。

病気は、自然治癒できなければ死だ。

社会性が必要とされ、社会に馴染めなければ、死だ。
動物は一匹では生きていけない。

繁殖は自由だ、自分の実力次第である。
行動は自由だ、死と隣り合わせだけれど。

動物園や飼われている動物

生死の安全が保障されている。
安定した食料が保障されている。

病気になっても治療が保障されている。

社会性が必要とされない。

繁殖が制限されてる、もしくは不可能である。
行動が制限されてる、檻の中を動き回ることしかできない。

※家で飼われている犬やネコは、檻のサイズが、部屋の室内というように、檻が広がったに過ぎない。犬は、散歩という、行動の拡張があるが、その分、人間社会、飼われている家族に対しての社会性が強く求められる。

幸せという価値観

何が幸せかは、価値観が決める。

動物園の動物を不幸という視点からしか見れないのも、ひとつの価値観である。アフリカのサファリで、動物界の圧倒的大自然を体験したならば、新しい視点を得られる。価値観は変化する。

何が幸せかは、価値観が決めるのだから、価値観次第で幸せになることは簡単だ。

  • 動物園は、安全で安心で一人で、毎日ダラダラ過ごせて、食糧の心配もない生活だ。
    これを幸せという価値観もあるだろう。
  • 自然の動物界で、生死を脅かされながらも、広い自然の中で自由に動き回り、飢餓に怯えながらも、自分の選んだ相手と繁殖し、社会性という名のルールにコントロールされながらも、仲間がいる生活だ。
    これを幸せという価値観もあるだろう。

片方だけにしか光が当たってなければ、一つのモノの見方しか知らなければ、選べない。選択肢がないのだから。新しい視点から、これまでと違う価値観をインストールしなければ、世界に光を照らすことはできない。1つのライトじゃ見えないけれど、2つのライトなら見えるかもしれないのだ。

見つかるかもしれない、私の幸福が。

みんなのライトが照らしている先にあるのは、みんなが定義した幸福に過ぎない。私の幸福は、もう片方にあるライトの先にあるかもしれない。そのもう片方のライトを得る術が、新しい視点、新しい価値観である。

動物園の動物も、飼われている犬も対した差はない。
動物園の動物と、自然界の動物は、生死が関わるほどに違う。
動物園の動物が、絶対に不幸なのか?

地球という動物園

私たち人間は、地球という檻に閉じ込められた動物かもしれない。

そして、例えば、神様という存在がいて、地球の外側から、私たち人間の振る舞いを観察しているだけかもしれない。仮説に過ぎないのだが、この仮説を、科学的に否定することはできない。私たちの知覚の限界点は、今のところ、無限に広がっている宇宙であり、ビッグバンから宇宙が始まったということに過ぎない。

  • なぜ、ビックバンが起こったのか?
  • なぜ、宇宙は無限に広がり続けているのか?

科学では明らかになっていない。その壁を打ち破ったとしても、また、次の壁が控えている。私たちは、有限の世界にいて、有限の肉体を持っている限り、無限の概念に、辿り着くことはないのだろう。科学で証明しても、また、次の科学で証明できないことが待っているに過ぎない。

私たちの地球が「 何者かの動物園でない 」ということは言い切れない。

私たちは、死や飢餓に怯えることなく、安全で安心した生活を営んでいる。檻が地球の人もいれば、檻がアジアの人もいれば、檻が日本の人もいれば、檻が本島の人もいれば、檻が関東の人もいれば、檻が東京の人もいれば、檻が23区の人もいれば、檻が港区の人もいる。ただ、それだけだ。檻のサイズを自分で決められるに過ぎない。無意識に、無自覚に、その檻の中にいるだけだ。檻を地球の外に求める人だっている。

私たち人間が動物園の中の動物だとしても、何かが急に変化するわけではない。それは、思考の遊びのようなモノだからだ。ただ、現代の科学では「 地球という動物園 」を否定できない。

野毛山動物園

野毛山動物園には、飛べない鳥が3羽いた。

  • ダチョウは、飛べないけど、足がめちゃくちゃ早い、飛べないことを補う武器がある。
  • ペンギンは、飛べないけど、水中でめちゃくちゃ泳げる、飛べないことを補う武器がある。
  • カグーという、飛べない鳥がいた。
    飛ぶ必要がない環境だったから、飛ぶ能力が退化してしまい、飛べなくなった。新たに得た武器はない。
    しかも、その環境は、とても快適だったんだろう。暑さに弱く、寒さにも弱い。動物園でも、過保護に扱われている。

どう考えても、絶滅するだろう。
この生物カグーが生き長らえることは、進化論的にあり得ない。

鳥なのに「 飛ばない 」という選択肢は、アリだ。しかし、飛ばない代わりに、新しい武器を獲得しなければ、絶滅してしまうのが、進化の道理だ。

「 飛ばない豚は、ただの豚だ 」

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